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東京高等裁判所 昭和44年(行ケ)128号 判決

原告

スペリ・ランド・コーポレーシヨン

被告

特許庁長官

右当事者間の昭和44年(行ケ)第128号審決取消請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

この判決に対する上告のための附加期間を90日と定める。

事実

第1当事者の求めた裁判

原告訴訟代理人は、「特許庁が昭和44年7月18日、同庁昭和40年補正審判第38号事件についてした審決を取消す。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、被告指定代理人は、主文第1、2項同旨の判決を求めた。

第2原告の請求の原因及び主張

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和37年3月24日、昭和36年3月24日アメリカ合衆国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、名称を「デイジタル計算システム」とする発明(以下「本件発明」という。)につき特許出願(昭和37年特許願第11768号)をし、その後昭和39年7月31日付で手続補正書(その1ないし12)を提出したところ、昭和40年5月13日補正却下の決定を受けた。そこで原告は、この決定に対し審判の請求をし(昭和40年補正審判第38号)たが、特許庁は昭和44年7月18日「本件審判の請求は成り立たない。」との審決をし、右謄本は同年8月8日原告に送達された。なお、出訴期間として3か月が附加された。

2  審決の理由の要旨

原告の本件出願当初の明細書は、発明の具体的回路手段についての説明が不十分であるため、発明の構成が不明であつたものであるが、右明細書及び図面に記載された事項と本件手続補正事項を対照検討すると、本件手続補正書は、出願当初の明細書に記載された特許請求の範囲の第1ないし第10の各構成要素について、それらの裏付けとなる具体的構成を明らかにしたものであり、かつ、この補正全体として、これら構成要素の有機的かつ動的結合体としての各発明についてそれらの具体的構成を明らかにしたものである。

そして、これらの補正事項は出願当初の明細書又は図面の記載から自明のもの、つまり、それらに記載した事項の範囲内のものとは認められないものである。出願当初の明細書の記載は極めて概念的か、さもなければ断片的なものにすぎず、また、図面には説明字句が記入されてはいるが、それらもまた、ごく概念的なものであり、そのほかに、それ自体では意味の不明な記号の類も多数あつて、これらを綜合して類推を働かせても、個々の図面の意味するところさえ不明瞭な点が多く、結局、漠然とした概念とそれからの憶測が得られるにとどまり、ましてやそれらを統合し、かつ巧妙にプログラムされた結果として、特定の条件の下に多くのステツプを踏んで逐次的に動作する動的構成についてのこれら補正事項は、尋常の能力をもつてしては到底推察できないものと認められる。このように、図面などが存在しても第3者がそれを判読してある特定の技術的事項を具体的に把握することが極めて困難であれば、その技術的事項は、もはやその図面に記載された事項の範囲内のものということはできない。

つまり、本件手続補正は、発明の構成に欠くことのできない事項の裏付けをなす具体的な技術手段について、出願当初の明細書又は図面によつて未だ明らかにされていなかつた事項を初めて明らかにして、発明の構成に欠くことのできない事項の技術的意味、つまり技術的思想としての発明の構成を特定するものである。そして、このように構成の特定された発明とそうでない発明とでは、その技術的思想としての実質に関してもはや同一のものとは認められない。従つて、このような本件手続補正は単なる釈明の域を越えて明細書の要旨を変更するものと解するのが相当であつて、これを特許法第53条第1項の規定により却下した原決定にはそれを取消すべき理由が見出せない。

最初に提出された明細書又は図面につき更に詳しい説明を補充することは釈明の本質を有するもので、要旨変更の本質を有するものではない旨を請求人は主張するが、釈明と要旨変更とはもともと相反する(排他的な)観念ではないから、たとえ本件手続補正が一面からみれば釈明に相当したとしても、そのことによつて直ちに要旨変更の判断が排除されるものではない。釈明の一面を有する手続が結果的に要旨の変更をもたらすことは当然あり得ることである。おもうに、請求人のこの主張は、補正の内容が出願当初の明細書と図面の記載のみからは確定し得なかつた事項でも、それが、結果的にみて、出願当時に開示するつもりであつた事項の範囲内にあれば、その補正は要旨を変更するものではないとの見解をその基礎とするものであろう。しかしながら、その見解によるときは出願当初には発明の明確な開示をしなくてもよいことになり、それでは先願主義をとるわが国の特許制度の適正な運用は期し難いから、これは採用できない見解であり、釈明であつて要旨変更ではないとの主張もまた採用できない。

変更というからには附加された新要旨部分とその附加によつて消失する旧要旨部分とがなければならないとの主張については、消失する旧要旨部分がなくても要旨変更となる場合のあり得ることは、たとえば新しい限定条件を附加する場合を考えれば明らかなことであるから、請求人のこの極端に図式的な解釈は採用し難いものであつて、特許出願手続における明細書の要旨の変更とは技術的思想としての発明の実質に関する同一性の喪失と解するのが相当である。

また、優先権証明書の明細書と図面の記載は本件補正事項が出願当時すでに発明者の認識していたものであることを示しているとしても、明細書の要旨の変更についてはわが国になされた出願に最初に添附された明細書と図面を基準にして判断されるべきものと解され、優先権を主張する出願について要旨変更に関し例外的な取扱いを定めた法規は存在しないし、また、パリ条約第4条もそのような特例を強制する趣旨のものとは解し難いから、優先権証明書の明細書と図面の記載を根拠として要旨変更を否定する請求人の主張は容認できない。

3  審決を取消すべき事由

(1)  本件出願当初の明細書の記述が概念的、断片的なものであり、また、その図面が、明細書の記述を参照し、図面中の説明字句や記号等を参照しても、漠然とした概念や憶測が得られるだけのものであつたこと及びこの明細書及び図面とでは、この出願における発明が何であつたかを技術思想として明確に把握し得なかつたことは、いずれも認める。

(2)  しかしながら、審決は、次の理由によつて違法であるから、取消されるべきである。

すなわち、最初に提出された明細書及び図面の記載内容のみから把握された技術思想と補正書によつて示された技術思想との間に同一性がなくとも、最初に提出された明細書及び図面で出願され示そうとしたところの内容が後に補正書で補正され、その結果全体として一つの発明として把握された内容と同一であると認め得る限り、後に提出された補正書は当該出願の発明の要旨を変更するものではないのである。

(3)  更に前項の主張の根拠を詳述すれば次のとおりである。

元来わが国の特許法は、その第39条において先願主義を採用し、たとえ同一の発明を先にした者があつても、これが先に出願の挙に出なければ特許を与えないばかりでなく、この出願がいつ行なわれたかに応じて異つた法律上の効果が生ずるようになつている。特許法第29条における新規性進歩性の判断の基準時点などがこれである。

このような法制にあつては、出願の時点の認定と共にその時点に出願されたところの発明が、どのような技術思想に係るものであつたのかが重要な意味をもつことになる。すなわち、ある年月日にある発明が特許出願されたとしても、その出願に係る発明を他の発明に置換したり、その出願に係る発明とは別の発明を盛込んだりすることが許されるならば、出願の時点の前後に応じて異つた法律効果を生じさせるわが特許制度は崩壊してしまうことになる。従つて、出願された発明と、後にその出願において補正された発明とが一致しない場合には、この補正をその出願手続で認める事はできない。特許法第53条第1項の要旨変更補正の却下の規定は正にこの趣旨において設けられている。

このような趣旨の下に設けられた特許法第53条第1項であるならば、出願時に提出された明細書や図面の記載内容のみから出願に係る発明の技術思想自体が把握され得なかつたとしても、後に補正され把握され得た出願に係る発明をその出願の時点において出願していたのであると客観的に認め得るならば、その補正を行なつた補正書を却下する必要はないはずである。なぜならば、そこには出願時の発明を他の発明に置換したり、出願時の発明とは別の発明を盛込んだりされている余地はないからである。換言すれば、出願時の明細書及び図面で出願されたところの発明と補正後の発明とが一致しているということである。

してみれば、要旨変更があつたか否かを認定するために、本件審決におけるが如く、最初提出された明細書及び図面の記載内容のみから特定の技術思想を把握しようと試みる必要はないことになる。要は後に補正された明細書や図面の記載内容が、出願時に提出された明細書や図面で示そうとした内容と同一であるか否かを出願時のあらゆる事情を参酌して客観的に認定すればよいことになる。もちろん、最初に提出された明細書や図面の記載内容のみから出願された発明が特定される事が好ましいのは明らかである。しかし現実に、技術思想を疑問の余地なき程に適確に記述するのは困難なことである。

今仮に審決で述べられた考え方を、特許法第36条第4項を満していない明細書の補正に適用したとするならば、これはすべて要旨変更があつたと認定しなければならなくなるであろう。たとえば、「……の構造は、米国特許第……号の第1図に示された構造になつている。」の如く、明細書中に文献や他の特許出願の明細書の記述に依存した発明の説明がなされていたとする。このような明細書のみをもつてしては、特定の発明の内容を把握することはできないはずである。従つてこのような場合でも、引用されたこれら文献等の記述内容を後に補充するところの補正書は要旨変更として却下されねばならぬとの結論となるはずである。然るにもかかわらず実際にはこのような補正が許容されている。この許容の限界は、その出願に係る発明が補正後の明細書によつて把握された発明と一致していると客観的に認め得るか否かによるべきであり、具体的には、最初提出の明細書に記載されていた書籍名や特許出願番号等によつて客観的に確認をなし得たからこそこれを要旨変更でないものとしているのであろう。

(4)  前項に述べた特許法第53条第1項に関する解釈を基本に、審決の結論を導き出した理由を分解し、その個々についての原告の見解を述べる。

(1) 審決は、補正書で補正された技術内容は、出願当初の明細書又は図面に記載した事項の範囲内のものではないと認定している。しかし、特許法第53条第1項は、「願書に添附した明細書又は図面について……した補正がこれらの要旨を変更するものであるときは」と規定しているだけであつて、「願書に最初に添附した明細書又は図面に記載した事項の範囲内」でなければ要旨変更だとは規定していない。しかるに、審決は、特許法第41条の要件事実「願書に最初に添附した明細書又は図面に記載した事項の範囲内」と同義の「出願当初の明細書又は図面に記載した事項の範囲内」に、本件の補正が該当するか否かについての判断を示している。この判断が特許法第53条第1項に該当することの判断にどのように関連するかの記述がない以上、この部分の判断は、審決の理由としては元来無意味である。

しかし、特許法第41条は、特許法第53条第1項と関連を有する。特許法第41条も、特許法第53条第1項の規定と同様、先願主義法制の下における規定である。しかしながら、特許法第41条は、要旨の変更があつたか否かについての要件を規定しているのではなく、要旨変更に該当する補正中、要旨変更でないものと看做す場合の要件を規定しているのである。

そしてまた、特許法第41条は、出願当初に既に明細書中又は図面中に記載し又は記載しようとしていた事項として客観的に認められるところの技術思想を、その明細書の特許請求の範囲の記載に関する補正である限り、たとえその補正が補正前の特許請求範囲に記載されていた技術思想と異り、結果的にその出願の発明だとしていたそのもとの明細書の要旨を、別の発明がその出願の発明だというように、変更したとしても、出願当初においてこの要旨の変更された明細書を出願することが可能であつたという地位を考慮して、これを許す旨規定したのである。

してみれば、「出願当初の明細書又は図面の記載」のみから当然に演繹される「自明のもの」の範囲内ではなく、これを越えた補正であるからといつてこれを直ちに「明細書又は図面に記載した事項の範囲内」のものではない、とする認定ないしは解釈は誤つている。

(2) 審決は、本件手続補正は出願当初明細書及び図面の釈明の域を越えていると認定している。このことはすなわち、最初に提出された明細書及び図面の記載内容のみからその出願の発明が特定された技術思想として把握されなければ、補正後にこれが明確にされ把握されるようになつても、その間にその出願の発明の同一性が認められないということである。

この論法の基本的誤謬は、なんらの根拠もなしに、補正前の「これらの要旨」の認定には、補正前の明細書又は図面の記載内容のみからその出願の発明を特定の技術思想として把握することが必要だとしていることである。特許法第53条第1項は、この「これらの要旨」の認定手段についてなんらの規定をもしておらず、他の法条においてもこれをなんら規制していないのである。してみれば、経験則に従つて全ての事象事情を考慮して判定されるべきである。第2の基本的な誤謬は、補正前の「これらの要旨」は、補正前の明細書又は図面に記載された内容以外に資料となり得るものがないと考えている点にある。この考え方は経験則に反している。

補正前の明細書の記述がたとえ審決に述べられているように概念的な記述や断片的な記述であり、また、補正前の図面が明細書の記述を参照し図面中の説明字句や記号等を参照しても漠然とした概念や憶測が得られるだけであつたとしても、それなりの明細書が存在し、かつ、後にその意味する内容が理解されたところの全図面が本件出願の発明の実施例として提出されていたのである。そして補正された内容の全てが、この最初に提出されていた図面と符合するところの説明であつたのである。

特許法第53条第1項は、ある時点で出願された発明が後にこの出願の発明を他の発明に置換したり、その出願に係る発明とは別の発明を盛込んだりすることを防止する規定であるとするならば、「結果的にみて、出願当時に開示するつもりであつた事項の範囲内」の補正は排斥さるべき理由はない。要は、その補正が出願当時に開示するつもりであつた事項の範囲内であつたか否かを客観的に認定し得ればよい。

更に、本件が優先権主張の出願であり優先権証明書の内容が補正後の明細書と一致しているのであるから、本件発明者が補正後の発明を既に発明していたこと、そして本件出願においてこの発明を出願し得たことが明白であり、更にこの発明を説明するための図が日本出願時にこの日本出願の発明の実施例を示す図として提出されていたことが優先権証明書の図から明らかであり、これに加えて、日本出願時に提出された明細書が仮に断片的な記述であつたにせよ、そこに述べられていたこの出願の発明と説明の文言が先に述べた既に発明していたところの優先権証明書の明細書において述べられていた発明を説明する文言と完全に一致し、しかも補正された明細書の文言もまたこれと完全に一致していたのである。

このような事情から本件における補正書は、補正前の明細書及び図面による出願の発明を補充説明したものであると認定されるのが正当であり、補正前の明細書・図面で出願された発明と補正後のその出願の発明とは同一でないとする認定は誤つている。

また審決でも認めているように、この補正はこの発明の具体的構成を明らかにしたのであるから、この補正は正に釈明そのものであつて、釈明の域を越えているとする認定も誤つている。

(3) 審決は「明細書の要旨の変更」とは「技術思想としての発明の実質に関する同一性の喪失」であるとしているが、こゝで特に「技術思想としての」といい、ただ単に「発明の実質に関する同一性の喪失」といわなかつた点に、先にも述べたように、補正の前後におけるそれぞれの明細書・図面の記載のみから特定の技術思想を把握して比較しなければならぬとする誤つた考え方の一端が示されているように思われる。特許法第53条第1項はこのような補正の前後の要旨の認定の手段についてなんらの規定をも設けていないのであるから、このような解釈を行なうべきではない。

(5)  出願当初の明細書及び図面がどのような発明を出願しようとしていたかは、本件においては、次の諸事実から客観的に認定することができる。

(1) 出願当初の明細書は78頁あつて、その全図面がそれぞれ何の図であるのかの説明(図面の簡単な説明)、本発明の「デイジタル計算システム」がどのような技術分野、すなわち電子計算システムのどのような技術に属する発明であり、本発明がどのような技術を提供するものなのかの説明(本発明の背景と目的の説明)については補正書において何等修正されなかつたばかりでなく、更に具体的に添附図面の符号と図面中の記号が何を意味するのかの説明、本発明システムの構成の第1図に基づいての概括的な説明、そしてこの第1図に基づいて説明された本発明におけるメモリとアドレス・デコーダの説明(第2~8図)、同じく第1図に基づいて説明された本発明におけるメモリ制御及びプライオリテイ回路の説明(第9図a~c)、同じく中央処理装置がどのようなものかの説明(第10図及び第10図a・b)、本発明における指令サイクル制御はどのようなものかについての説明(第11図、第26図、第28図)、本発明における指令デコーダ及びインコーダはどのようなものかの説明(第12図、第12図a)が抜粋して記載されており、そしてこの出願の特許請求範囲に含まれる実施態様項目(米国出願のクレーム10項)、そして最後に特許請求の範囲10項が全て記載されていたのである。

これらの記載を基に、出願当初に提出されていた図面を読むと、少くとも記載されていた部分についてはそれぞれにその内容を読取ることができた。そして、補正される前のこれらの記述は、優先権証明書と対比すれば明らかなように、その抜粋的翻訳であり、補正後もそれらの記述は実質上何らの修正もなしに補正書と結合されて、出願時に提出されていた図面の実施例を理解させることになつた。そして、この補正書の内容も、全て優先権証明の残部翻訳であり、補正された結果は優先権証明書と一致していたのである。このような事実は、出願当初に提出された明細書と全図面は出願における発明がなんであつたかを、技術思想として明確に把握し得ないにしても、補正された結果の発明を出願していたのである。

(2) そして補正書は、出願当初の明細書、図面の記載内容における不明瞭な部分、漠然としている部分、憶測にとどまつた部分を明瞭ならしめ、審決にも述べているように本件出願の「発明についてそれらの具体的構成を明らかにした」。そして、この補正書の内容は、全て出願当初に提出されていた図面の説明であり、概念的な図面中の説明字句を具体的に理解させ、それ自体では意味不明な多数の記号の類を了解させるものであつた。

(3) 一方、この出願当初に提出された明細書及び図面は、願書に表示され、後に提出された優先権証明書における明細書の部分と全図面と一致する。そして却下された補正書の内容も、この優先権証明書の明細書の残部と一致している。

このことは、優先権証明書の明細書と図面の記載は、本件補正事項が出願当時すでに発明者の認識していたものであることを示していると共に、出願人が優先権証明書における明細書・図面で示される発明を本件出願時に出願し得たことを示している。

この事実によつて、優先権証明書における発明がその図面に実施例として示されていることが確認され、本件出願(日本出願)の発明の実施例を示す図として提出された出願当初の図面がこの優先権証明書の図面と同一であることが確認される。

(4) 前記(1)、(2)及び(3)の事実は、個々に評価してみても、本件出願の発明が補正の前後においてなんらの変更もされていないこと、すなわち、補正前の明細書・図面から示唆されて得られた発明が何物をも加えられず、またなんらの変更もされずに示唆どおりに補正され、補正の前後の明細書・図面に表現された両者の発明の本質において全く同一であつて、特許法第53条第1項における「これらの要旨を変更するもの」でなかつたことを明らかにしている。

(6) このように補正書が「最初提出の明細書及び図面で出願しようとした発明に何物をも加えずなんらの変更もなされず、その発明の本質を同一にしている」ときは、その補正が特許法第53条の「要旨を変更するもの」でないことは東京高等裁判所第6民事部昭和33年(行ナ)22号、判決言渡昭和34年3月31日、行裁例集10巻3号536頁の判決例にもあるとおりであつて、本件出願における却下された補正書が、特許法第53条の第1項に該当する補正を行なうものでないことは明らかである。

(7) 本件出願は優先権を主張して出願されたものであり、わが国への出願は昭和37年3月24日までになさねばならなかつた。

この出願の依頼状(昭和37年1月16日付)は同月30日に受信され、100図に及ぶ図面及び482頁にわたる英文明細書は、昭和37年1月29日羽田税関を通じて受取られた。

電子計算機に関する専門家であり、英文に堪能でかつ特許法の知識を有する者自体希少であるうえに、12万5千語に及ぶ英文を2か月弱で訳出する事は事実上不可能であつた。

そこで本件は、出願内容をより把握し易いように部分的に抽出した抄訳をなして出願時の明細書とし、残余部分が後に訳出され補充された。

このような出願時の事情からしても、本件出願において、補正書が最初の明細書及び図面に新たな技術思想を付加し、新たな技術思想に変更するものでなかつたことは明らかである。

第3被告の答弁及び主張

1  原告の請求の原因及び主張の1、2の事実を認め、3を争う。

2  原告が、審決は取消されるべきであるとする理由の要旨は、「(1)出願時に提出された明細書や図面の記載内容のみから出願に係る発明の技術思想自体が把握され得なかつたとしても、(2)後に補正され把握され得た出願に係る発明をその出願の時点において出願していたのであると客観的に認め得るならば、その補正を却下する必要はないはずである。」、そして、本件についていえば、「(3)優先権証明書の明細書と図面の記載は、本件補正事項が出願当時すでに発明者の認識していたものであることを示していると共に、出願人が優先権証明書における明細書、図面で示される発明を本件出願時に出願し得たことを示している。」のであるから、補正は却下されるべきでなく、審決は違法であつて取消されるべきであるということであると認められる。

しかし、このような理由は、被告の到底首肯し得ない理由である。以下、その理由を述べる。

(1)  特許法第41条には「願書に最初に添付した明細書又は図面に記載された事項の範囲内において……」と規定されている。ところで、原告の前記(1)の主張は、願書に最初に添付された明細書及び図面には、当業者がみても発明の技術的思想自体が何であるか把握し得るようには記載されていなかつたということである。それ故、原告の前記(2)の主張の「後に……客観的に認め得るならば」とは、少くとも、前述のように願書に最初に添付された明細書及び図面には記載されていなかつたものを後で認め得るようにするためには、願書に最初に添付された明細書及び図面に記載された事項(当業者に自明の事項を含む。)のみ以外のなにものかを採用し又はよりどころとせざるを得ないこととなる。

従つて、このように、願書に最初に添付された明細書及び図面に記載された事項以外のものをも本件発明の技術的思想自体を把握するための資料とし得るものであるとする原告の主張は、特許法第41条の趣旨を逸脱した誤つた主張である。

(2)  原告の前記(3)の主張については、優先権証明書であつても、これが我が国特許法における明細書としての性質もしくは効力を有していないことは既に裁判所において判断されており(昭和53年6月27日判決、昭52(行ケ)46号)、従つて、優先権証明書が提出されていたとしても、これが、特許法第41条の願書に最初に添付された明細書及び図面に記載されていた事項、又は明細書及び図面それ自体となり得ないことは明らかである。

結局、本件においては、出願当初の明細書及び図面に実際に記載された内容のみからは、当業者が、この出願における発明が何であつたかを技術思想として把握し得ないものであつたものを、補正により発明を明確に把握し得るようにしたものであるから、本件補正は要旨を変更するものであり、補正は却下されるべきであるとした審決になんら違法な点はない。

理由

1  原告の請求の原因及び主張の1、2の事実は、当事者間に争いがない。

そこで、審決にこれを取消すべき違法の点があるかどうかについて考える。

2(1)  本件発明の特許出願当初の明細書(成立について争いのない甲第2号証)の記述が概念的、断片的なものであり、また、その図面が、明細書の記述を参照し、図面中の説明字句や記号等を参照しても、漠然とした概念や憶測が得られるだけのものであつたこと及びこの明細書及び図面とでは、この出願における発明が何であつたかを技術思想として明確に把握し得なかつたことは、原告の自認するところであり、そして、右出願当初の明細書及び図面に、成立について争いのない甲第3号証の1ないし12(昭和39年7月31日付で原告が提出した本件手続補正書)並びに弁論の全趣旨を綜合すると、右出願当初の明細書及び図面と本件手続補正書とを併せてみれば、本件発明が特定の技術思想をもつものとして把握され得ることが認められる。

(2)  ところで、原告は、出願時に提出された明細書や図面の記載内容のみから出願に係る発明の技術思想自体が把握され得ないものであつたとしても、補正書と合して、それが特定の技術思想を表現するものと客観的に認め得るならば、その補正は出願時の発明を他の発明に置換したり、出願時の発明とは別の発明を盛込んだりするものではないから、却下されるべきものではない旨主張する。

しかしながら、それは、出願当初の明細書及び図面では、出願に係る発明が特定の技術思想として把握することができなかつたものが、補正の段階において、補正書と出願当初の明細書及び図面とを合して、初めて特定の技術思想として把握し得るようになつたというだけのことであつて、そのことのために、その技術思想が出願当初から存在しており、その特定の技術思想をもつものとして出願されたとすることはできない。けだし、特許法第53条第1項は、同法の根幹である先願主義(第39条)を重視して明細書及び図面の要旨の変更を厳しく制限することを趣旨とするものであるところ、原告が主張するように、補正の効果が出願時まで遡るとすることは、先願主義と明らかに矛盾し右規定の趣旨に反するというべきであるからである。従つて補正の効果が出願時に遡及することを前提とする原告の右主張は採用できない。

なお、原告は、補正書が最初に提出した明細書及び図面で出願しようとした発明に何物も加えず、これを変更もせず、その発明の本質を同一にしているときは、その補正は特許法第53条第1項でいう「要旨を変更するもの」ではないとして、東京高等裁判所の判決を引用するが、右判決は本件と事案を異にするものであるから、その引用は適切でない。

(3)  原告は、また、審決は補正書で補正された技術内容は、出願当初の明細書又は図面に記載した事項の範囲内のものではないと認定しているが、補正の却下についての特許法第53条第1項は、「願書に添附した明細書又は図面について……した補正がこれらの要旨を変更するものであるときは……」と規定しているだけであつて、「願書に最初に添附した明細書又は図面に記載した事項の範囲内」でなければ要旨の変更だとは規定していない旨主張する。

しかし、本件において出願関係書類として問題になるのは、出願当初の明細書及び図面と本件手続補正書だけであるから、審決が、補正書で補正された技術内容は出願当初の明細書又は図面に記載した事項の範囲内であるかどうかを判断したことはなんら違法ではない。

(4)  原告は、さらに、結果的にみて、出願人が出願当時に開示するつもりであつた事項の範囲内の補正は排斥さるべき理由はないといい、また、本件は優先権主張の出願であり、優先権証明書の内容が補正後の明細書と一致しているから、本件発明の発明者が補正後の発明を既に発明していたこと、本件出願においてこの発明を出願し得たことが明らかであり、このような事情から、本件補正書は、補正前の明細書及び図面による出願の発明を補充説明したものであると認定されるのが正当である旨主張する。

しかし、出願人が内心においてどのような技術思想を抱いていたとしても、その技術思想は、出願に際し、出願書類に表示されなければならない。当該補正は、出願人が出願当時に開示するつもりであつた事項の範囲内であるかどうかが審査されるべきものではなく、その補正が出願当時現実に開示された事項の範囲内であるかどうかが審査されなければならないのである。また、優先権証明書はわが国の特許出願における明細書又は図面としての性質又は効力をもつものではない。原告の主張は理由がない。

(5)  以上のとおりであるから、本件出願において、原告がなおその出願に係る発明について特許権を得たいと望むならば、原告はすべからく特許法第53条第4項の規定により新たな特許出願をすべきものであつたのであり、本件補正は要旨を変更するものとして却下されるよりほかに途のないものであつたというほかはない。

3  そうすると、特許法第53条第1項の規定により、本件補正を却下した決定を是認した審決は相当であつて、違法の点はなく、これが違法であることを理由としてその取消を求める原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用は敗訴の当事者である原告の負担とし、なお、この判決に対する上告のための附加期間を90日と定めるのを相当と認めて、主文のとおり判決する。

(杉本良吉 高林克巳 舟橋定之)

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